羽田大鳥居の祟りって何?謂れは?アクセスと場所は?
2017/07/25
ちわ^_^
らんちょーです。
昨日、仕事で羽田空港へ行きました。
車で羽田空港へ行ったのですが、少し時間があったので、羽田大鳥居へ寄りました。
羽田大鳥居をご存知ですか?
羽田空港近くに、ポツンと大きな鳥居だけがあります。
どこを探しても、社や御神体などは見当たりません。
なぜ、鳥居だけがあるのか?
ちょっと気になりませんか?
実はこの鳥居は撤去を拒む「呪いの大鳥居」だったのです。
羽田大鳥居は、祟り神だったのです。謂れのある神社です。
羽田大鳥居の祟りとは?
終戦後すぐ、アメリカ側は羽田付近の300人の住人に強制退去を命じました。
強制退去に与えられた時間は、なんと、たったの2日です。
アメリカ側は重機を使って街を更地にしました。
穴守稲荷神社の沢山の鳥居がブルドーザーで次々となぎ倒されました。
しかし、住人は、そんな更地に、穴守稲荷神社の沢山あるうちの1つの鳥居だけ残されているのに気付きました。
鳥居が1つだけ倒されずに残されていました。
それからすぐのこと、神社の撤去に関わった米兵が次々と異様な死を遂げたという噂が流れました。
続いて、鳥居の撤去を委託された日本の業者も次々と倒産したり、担当者が発作で倒れたりちました。
お狐様の祟りと言われるようにもなりました。
やむなく工事は中止となりました。
お狐様の祟りには、アメリカも適わなかったということでしょうか?
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そして、この祟りには続きがあります。
占領期間終了後も鳥居の移転話が持ち上がるたびに航空事故が起こりました。
もく星号墜落事故、羽田沖墜落事故、雫石衝突事故、逆噴射事故、日航ジャンボ機墜落事故など、悲惨な航空機事故が重なりました。
これらは全て工事計画が上がったタイミングです。
羽田の「呪いの大鳥居」は、全国区となりました。
祟りは本当にあるのですね。
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しかし、1999年、滑走路拡張に伴い、空港側は鳥居を撤去しようとします。
その時、地元住民は「このままでは鳥居が壊されてしまう」と移動を願い出ました。そして、その費用も負担しました。
最終的には4日かけ、鳥居は800m離れた多摩川の河口まで移動しました。
そこは、東京大空襲で大量の死体が流れ着いた場所であり、鳥居の「平和」の額縁は彼らの鎮魂を祈っています。
戦災と土地を奪われた恨みが、祟りの原因だとしたら、その歴史を背負った地元住民によって、はじめて大鳥居が移動できたのも、頷ける事実です。
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お狐様(お稲荷)の祟りは怖い…
ちょっと余談になりますが、羽田の鳥居の祟り以外にも、お狐様(お稲荷)の祟りの噂があります。
新歌舞伎座ビル建築中に起きた歌舞伎名優5人の死亡は、お狐様(お稲荷)の祟りと噂されています。
新しい歌舞伎座は、かつて劇場脇に祀っていた歌舞伎稲荷の上に地上29階のタワービルが建てられました。
2010年10月に建て替え工事が始まりました。
短期間に中村富十郎さん、中村芝翫さん、中村雀右衛門さん、中村勘三郎さん、市川団十郎さんが亡くなりました。
他にも海老蔵が暴行を受け、染五郎が舞台の奈落に落ちるなど怖い話が続きます。
お狐様(お稲荷)の祟りはマジでありそうですね…。
羽田空港の鳥居は心霊スポットか?参拝してみました…
謂れのある羽田大鳥居を参拝しました。
はやり、戦争を感じましたね。
(あくまでも私の見解ですが)ゼロ戦が飛んでいる映像が浮かびました。
「日本を守ろう」と思ってゼロ戦を操縦する兵士の気持が伝わって来ました。
空を見上げると、戦争の風景が浮かびました。
もう悲劇を繰り返してはいけません。
これからは争いではなく共生の時代です。
その変革の任務を背負っているのが私達です。
世界平和を祈って、日々の生活を送りたいものです。
強くそう思いました。
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参拝後の感想、
羽田の鳥居を参拝する時は、心霊スポットを巡るような気持ちでなく、平和を祈る気持ちで参拝することが大切だと思いました。
お稲荷さまも平和を願う気持ちには賛同してくれているようです。
冷やかしでいけば、痛い目に合うかも知れませんね。ご注意ください。
お稲荷様は、その地の守り神です。
人間の都合で簡単に移動してはいけないようです。
平和のための移動なら、お稲荷様の祟りなど無縁だと思いますが、人間に都合で移動させれば、お稲荷様の怒りをかうということみたいですねー。
羽田大鳥居の場所とアクセス方法
羽田大鳥居の住所:
東京都大田区羽田空港一丁目
羽田から羽田空港に渡る境界線、海老取川の河口近くになります。
京急羽田線「天空橋駅」から徒歩約10分です。
首都高「空港西」入口の近くです。
地図